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松山地方裁判所西条支部 昭和63年(ワ)158号 判決 1994年4月13日

原告

阿部光雄

阿部ヒロ子

右二名訴訟代理人弁護士

土山幸三郎

被告

新居浜市

右代表者市長

伊藤武志

右訴訟代理人弁護士

宮崎忠義

主文

一  被告は、原告らに対し、各一五〇三万七〇〇九円及びこれに対する昭和六三年八月五日以降完済まで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告らのその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、これを二〇分し、その三を原告らの負担とし、その余を被告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告らに対し、各一七五六万三五八〇円及びこれに対する昭和六三年八月五日以降完済まで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行の宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告らの請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求の原因

1  当事者

(一) 被告は、新居浜市立新居浜商業高等学校(以下、新居浜商高という。)を設置し、管理していた地方公共団体である。

(二) 亡阿部智美(以下、智美という。)は、昭和四七年五月一二日生まれの女子であり、原告ら夫婦の長女であった。

智美は、今治市立西中学校時代からバスケットボール部員として活躍し、昭和六三年四月から親元を離れて下宿し新居浜商高一年に在学していた。智美は、身長一六五センチメートル、体重六〇キログラムであり、新居浜商高入学前の瀬戸内海病院における健康診断では何ら異常は認められておらず、入学後はバスケットボール部に所属し元気に生活していた。

2  事故の発生

(一) 智美は、昭和六三年七月三〇日から同年八月四日の間、神戸市で開催されたインターハイスクール競技に参加し、同日、いったん今治市の自宅に帰り休息し、翌五日午後二時から新居浜商高で部活動に参加した。

(二) 当日の練習は特に厳しい訓練が行われ、智美はまもなくドリブルの練習中指導担当の瀬良強教諭(以下、瀬良教諭という。)に叩かれて倒れ、その後も嘔吐をしたり「しんどい」と訴えたが、瀬良教諭は智美に水をかけ、介抱しようとする他の部員を妨げ、智美をして練習への参加継続を余儀なくさせ、ついには智美が椅子を持ったまま倒れたり手足も冷たくなっているのを放置した。練習終了時、智美は足ががくがくして着替えもできず、声をかける部員達の識別もできず歩行困難な状態となっていたが、瀬良教諭はこれに対し何ら適切な措置を講じなかった。

(三) 智美は、部活動終了後、友人に支えられてタクシーで下宿に戻ったが、目を閉じた状態となり、下宿の管理者が手配した救急車により住友別子病院に搬入されたが、同日午後一〇時四五分急性心不全のため死亡した。

3  被告の責任

(一) 国家賠償法一条一項による責任

瀬良教諭は、バスケットボール部指導者として、昭和六三年八月五日の練習時における智美の心身の状況に照らして智美が過労による脱水症状を呈していることは容易に察知できたのであるから、以下のとおりその状況に応じた適切な措置をとるべき注意義務があるのに、これを怠った過失により智美の死亡という結果を発生させた。

(1) 智美は、同日午後四時過ぎころ、急に床にうずくまり発汗量多く、顔色が悪い状態となり、熱中症の症状を呈していたのであるから、その時点で救急車で病院に搬入して適切な治療を受けさせるべき注意義務があったにもかかわらず、瀬良教諭はコップの水を一杯頭にかけて、体育館入口で休ませるにとどめ、それ以上の適切な措置をとることを怠った過失がある。

(2) 智美が同日午後五時五〇分ころインターバルトレーニングに参加しようとした際、智美の心身の状況に照らしてこれを制止し、安静を命じるべき注意義務があるのに、瀬良教諭はこれを怠り安易に練習に参加させた過失がある。

(3) 智美がインターバルトレーニングを二回実施後についに倒れて明らかに意識障害を起こしたのであるから、この時点で直ちに救急車で病院に搬入して適切な治療を受けさせるべき注意義務があるのに、瀬良教諭はこれを怠った過失がある。

被告は、被告の公務員である瀬良教諭の右不法行為による損害について、国家賠償法一条一項によりこれを賠償する責任がある。

(二) 安全配慮義務違反による責任

新居浜商高及びこれを管理していた被告は、学校教育に伴って行わせるスポーツ活動に参加する生徒の心身の安全について万全の配慮をし、スポーツによる事故の発生を未然に防止するべき義務がある。しかるに、被告は、前記(一)のとおり、被告の公務員である瀬良教諭の安全配慮義務に違反した行為により智美の死亡という結果を発生させた。

被告は、右安全配慮義務違反による損害についてこれを賠償する責任がある。

4  損害

(一) 逸失利益

(1) 死亡時の年齢   一六歳

(2) 収入       月額一七万六五〇〇円(女子全年齢平均給与)

(3) 稼働可能年数   四九年

(4) 新ホフマン係数 23.123

(5) 生活費控除    三割

(6) 逸失利益の計算

17万6500円×0.7×12×23.123=3428万2160円

(二) 慰謝料 一五〇〇万円

(三) 葬祭費 一〇〇万円

(四) 弁護士費用

二八四万五〇〇〇円

5  相続

原告らは、智美の死亡により同人の権利義務を各二分の一の割合により相続した。

6  損害の填補

原告らは、平成元年二月一日、日本体育・学校健康センター死亡見舞金一四〇〇万円、愛媛県教育振興会学校災害死亡見舞金四〇〇万円の各支払を受けたので、各九〇〇万円の限度で損害が填補された。

7  よって、原告らは、被告に対し、不法行為による損害賠償請求権に基づき、各一七五六万三五八〇円及びこれに対する不法行為後の日である昭和六三年八月五日以降完済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求の原因に対する認否

1  請求の原因1の事実は認める。

2  同2の事実中、(一)、(三)の各事実は認め、(二)の事実は否認する。

3  同3(一)、(二)の事実は否認する。

瀬良教諭は、バスケットボール部顧問として、部活動の練習を指導するに当たり、時間割と練習技術の内容を決め、練習開始前に参加生徒の体調の検査を行い、予備運動もさせており、練習は参加者全員に一様に行わせたもので一部の者又は特定の個人に限って強行させたことはない。また、練習時間中適当に休憩、ミーティングも行わせている。

智美の死因である急性心不全の全容は医学上解明されておらず、異常体質によるものとされており、智美には心不全の先天的体質又はその予備素質があった。したがって、瀬良教諭には、部活動の練習指導に当たり智美の死亡を予見することはできず、同教諭の練習続行及び介護行動と智美の死亡との間に相当因果関係はない。

4  同4の事実は否認する。

5  同5の事実は認める。

6  同6の事実は認める。

第三  証拠<省略>

理由

一  当事者

被告が新居浜商高を設置、管理していた地方公共団体であること、智美が昭和四七年五月一二日生まれの女子であり、原告ら夫婦の長女であったこと、智美が今治市立西中学校時代からバスケットボール部員として活躍し、昭和六三年四月から親元を離れて下宿し新居浜商高一年に在学していたこと、智美が身長一六五センチメートル、体重六〇キログラムであり、新居浜商高入学前の瀬戸内海病院における健康診断では何ら異常は認められておらず、入学後はバスケットボール部に所属し元気に生活していたこと、以上の事実は当事者間に争いがない。

二  事故の発生

1  智美が、昭和六三年七月三〇日から同年八月四日までの間神戸市で開催されたインターハイスクール競技に参加し、同日、いったん今治市の自宅に帰り休息し、翌五日午後二時から新居浜商高で部活動に参加したこと、智美は、部活動終了後友人に支えられてタクシーで下宿に戻ったが、目を閉じた状態となり、下宿の管理者が救急車を手配して住友別子病院に搬入されたが、同日午後一〇時四五分急性心不全のため死亡したこと、以上の事実は当事者間に争いがない。

2  甲第二号証、第五、第六号証、第八号証の三、四、五、第九号証の一、二、第一〇、第一一号証、乙第五、第六号証、第九号証の一ないし七、証人瀬良強、同河上淳子、同難波康夫、同高木英一の各証言を総合すれば、本件事故の発生に至る状況及び経緯について、以下のとおり認めることができる。

(一)  本件事故発生の当時、新居浜商高女子バスケットボール部の技術水準は全国大会中位程度であり、本件事故直前に神戸市で開催された昭和六三年八月インターハイ大会での成績は二回戦敗退であり、同月五日より新チーム(一年生と二年生)で新人戦に向けた練習が開始された。当日の練習参加者は同校一、二年生一一名と同校卒業生五名であり、練習場所は同校体育館内の板張のコート二面を使用し、予め瀬良教諭が作成していた次のとおりの練習予定に従って実施された。

(練習内容) (時間)

A 体重測定、心拍数計測(練習開始直前) 午後二時〇〇分

B ストレッチ (一〇分間)

C 準備運動 (五分間)

D ランニング (五分間)

E 縄跳びと腹筋鍛練

午後二時三〇分

F 攻撃のための足の使い方

(一〇分間)

G 防御のための足の使い方

(一〇分間)

H 休憩(水を補給)

午後三時〇〇分

I 攻撃基本技術の練習

ボールコントロールの練習

(二〇分間)

パス・キャッチの練習

(三〇分間)

ドリブルの練習(一〇分間)

J 攻撃者と防御者の追いかけっこ

(一五分間)

K 休憩(水を補給)

午後四時二五分

L ドリブルシュートの練習

(一五分間)

M ボールを持ってカットインの練習 (二五分間)

N 二人一組でボールを運ぶ練習

(二〇分間)

O 休憩(水を補給)

午後五時三〇分

P インターバルトレーニング

(三五分間)

Q 整理運動 午後六時一五分

R 自主練習 午後六時四五分

S ミーティイング午後七時〇〇分

(二)  智美は練習開始直前の体重測定では61.5キログラムであり、前夜の睡眠時間7.5時間、食欲は普通で発熱、生理中ではなく、左右ふくらはぎ、左足首に痛みがあった程度で格別練習に支障があるとは認められず、前記練習予定AないしFまでの練習中特に異常が認められなかったが、同Gの防御のための足の使い方の練習中発汗量が多くなった。午後三時休憩時に少し疲れた様子であったが水二〇〇CCを補給し、前記練習予定Iの攻撃基本技術の練習開始時には疲労も回復した様子で特に異常も見られず練習したが、パス・キャッチの練習中やや疲れた様子となり、前記練習予定Jの攻撃者と防御者の追いかけっこの練習の終わりころ、普段は見られない状態で急に膝を折って床にうずくまり、意識が少しもうろうとし、目は疲れでうつろな状態になっていた。

そこで、瀬良教諭は、「しっかりせんか。」と言って智美を引っ張り上げて立たせた上、両頬を二回ひっぱたいたが、それでも智美の意識ははっきりせず、さらにコップ一杯の冷水を頭から浴びせ両頬を叩いたところ、ようやく意識が回復したので予定より約五分早く午後四時一〇分ころ全員を休憩させた。

瀬良教諭は、智美を体育館入り口の涼しい場所に連れて行き、休憩時にコップ一杯の水とスポーツドリンク三〇〇CCを飲ませて休ませ、他の生徒には予定どおり前記練習予定Lのドリブルシュートの練習以下の練習をさせた。その途中、通常時より顔色が多少悪い智美から数回練習に参加する申出がされたが、瀬良教諭は十分回復しないまま練習を再開させるよりも最後にハードなインターバルトレーニングをさせた方が本人に満足感を与えることになると考え、午後五時五〇分ころまで練習の再開を許可しなかったが、競技者としての練習に対する充足感を与えさせる目的で最も厳しい練習である前記練習予定Pのインターバルトレーニングの五セット内の最後の二セットに参加させた。

智美は、右練習の最後の二セット目に参加し、二分間程度の全力疾走を二回行ったが、二セット目のゴールに達すると同時にそのまま前につんのめるようにばたんと倒れ込んだ。このときは一回目に倒れたときよりも更に意識がもうろうとした状態であった。

瀬良教諭は、卒業生とともに直ちに体育館外の水道の蛇口のところに智美を抱きかかえて連れて行き頭から水を浴びせ、スポーツドリンク三〇〇CCと薄い梅酒様のドリンク二〇〇CCを飲ませた。智美は、これを少しずつ飲んで、飲み終えた段階でもまだ強い疲労が残っている状態であり、瀬良教諭は、卒業生を付き添わせて智美を体育館入口の涼しい場所に寝かせて休ませた。しかし、同教諭は、過去に練習中に疲労して休憩させてまた練習させて疲労した生徒がいた経験から事態を深刻には受けとめず、休憩させれば回復するはずだと考えて、格別救急車を呼んだり智美に医師の診察を受けさせるなどの措置を講じることはせず、他の生徒の練習の指導に当たった。

智美は、ずっと横になって休み、午後七時ころ最後のミーティングには参加したが、更衣室へ行くにも同級生に支えられ、帰るにも自転車に乗れない程非常に疲労した状態であったため、他の生徒に付き添われタクシーで帰宅させられたが、午後七時四〇分ころ下宿に帰宅してすぐに意識を喪失して倒れ、午後八時三四分救急車で住友別子病院に搬送された。

(三)  住友別子病院搬入時における智美の診察結果は、意識は深昏睡で痛み、刺激に全く反応しない状態で、瞳孔は開いていて瞳孔反射がなく、動脈血液中の酸性度はPH6.890と高く、呼吸が抑制され炭酸ガスが蓄積して血液中の酸が過剰になった状態であり、静脈血液中の白血球の数値は一万七八〇〇と正常値の倍近くに増加し、急激なストレスがかかった状態を示し、搬入時には浅い呼吸があったが、約一〇分以内に無呼吸から心停止に至り、心肺蘇生が試みられたが、成功せず死に至った。緊急検査では血清ナトリウム値一四七で正常値よりやや高く、血清カリウム値は6.4で正常値よりかなり軽度から中等度の脱水状態が認められた。

(四)  本件事故当日の新居浜市にける気象状況は、午後零時に温度29.7度、湿度六九パーセント、午後三時に温度31.2度、湿度六一パーセント、午後六時に温度29.7度、湿度六七パーセントであった。

3  原告らは、智美はドリブルの練習中指導担当の瀬良教諭に叩かれて倒れ、その後も嘔吐をしたが、瀬良教諭は智美を介抱しようとする他の部員を妨げ、智美をして練習への参加継続を余儀なくさせた旨主張するが、右事実を認めるに足りる証拠はない。

三  智美の死因とその原告

甲第二号証、第五、第六号証、第八号証の三、四、五、第九号証の一、二、第一〇ないし第二一号証、乙第一ないし第三号証、第五ないし第七号証、第九号証の一ないし七、証人瀬良強、同河上淳子、同徳永常登、同難波康夫、同高木英一、同石戸谷武、同寺本滋の各証言、原告阿部ヒロ子本人尋問の結果、鑑定の結果によれば、以下のとおり認められる。

1  智美は生下時より発育良好な女子高校生であり、昭和六〇年五月、同六一年二月、同六三年二月撮影の胸部X線写真によれば心臓は正常の大きさであり、肺血管拡大、肺うっ血等異常所見は見られない。昭和六〇年六月、同六一年二月撮影の心電図所見ではいずれも正常範囲内の所見であり、診療録上も心雑音を聴取したとの記録はない。智美の心臓は異常な肥大、拡張はなく、心筋の虚血、変生等の異常はなく、血流の異常を来すような先天性、後天性の構造奇形も考えられず、不整脈も認められず、正常な心機能を有していたと考えられ、少なくとも急死を来すような心不全の素質を有していたとは考えられない。

本件事故発生前約四年半の間に智美は度々病院で通院治療を受けていたが、鼻風邪、軽度貧血が主であり、特別な症状はなく、治療によく反応しており、アレルギーもなかった。

本件事故当日の練習前において練習に差し支えない身体状況であったと考えられ、バスケットボールの練習に際して特に悪影響を及ぼす要因があったとは考えにくい。

2  暑熱環境のもとでスポーツ等の身体労作を行うとき、体熱産生の影響を受け、体温調節機能、循環器機能の負担が増大し、ついにはこれら各種機能の失調を来たし種々の自覚的、他覚的症状が出現するようになるが、このとき体温上昇、中枢神経症状、循環不全、種々の臓器障害を示し死の転帰をとることがあり、特に体温四一ないし四二度Cが続くと危険といわれ、速やかな処置が要求される。このような熱中症と総称される全身的障害は高い気温と高い湿度が発症の要因とされており、本件事故当日の新居浜市の気温、湿度はスポーツを行う環境としては危険ないし中止域の範囲にあるとも考えられる条件下にあり、十分に配慮を要する状態であった。

3  智美が練習開始後約二時間、午後四時過ぎに練習中倒れた時点では、暑熱環境下での運動により呼吸、循環器に対する負担が増大し、体熱を産生し、体温調節機能の働きにより発汗を促し、体温の正常化に努めたがうつ熱状態を来たして身体諸機能、特に循環機能が十分対応できず、疲労感、倦怠感、めまい等の熱中症状を示してきたものであり、その後、水分の補給、一時間四〇分ほど休息をとり練習に参加したが走り終えるとともに倒れたのは、智美の身体状態が回復に向かったのではなくむしろ障害の程度は進展していたためであり、更にその後、疲労状態が回復せず三度目に倒れたのは、意識障害すなわち中枢神経機能の障害を意味しており、高度の循環障害、身体諸機能の障害が進行していたことを示すものと考えられる。

4  智美は住友別子病院に搬入された時点で、高度の意識障害があり、瞳孔散大し、対光反射はなく、低血圧(測定不能)であって脈拍は触知せず、高度の循環不全状態を示しており、間もなく呼吸は浅くなり、呼吸、心拍停止し、心肺蘇生の効なく急性心不全により死に至ったものである。血液検査のデータでは高度のアチドージスを示し、循環不全状態の経過を示しており、また血液濃縮の所見から脱水状態が窺え、午後二時より暑熱環境のもとでバスケットボールの練習を行い、体熱の産生に対して発汗等で適応反応を示してきたが、十分な適応を得ることができず、熱中症状を招来して循環機能をはじめ身体諸機能の破綻が起こり、ついには急性心不全を来たして死の転帰をとったものと考えられる。

以上の事実を総合すると、智美の死因は急性心不全であり、その原因は、暑熱環境下でのバスケットボールの練習により、体熱産生、発汗による体液喪失、脱水、さらに熱中症状を来たし、身体諸機能の障害、急性循環障害を招来して、急性心不全により死亡に至ったものと認めるのが相当である。

四  被告の責任

1 高校の課外クラブ活動は、学校教育活動の一環として行われるものであるから、現にその指導を担当する教諭は、部員である生徒がクラブ活動により生じるおそれのある危険から生徒を保護すべき注意義務を負っており、事故の発生を未然に防止すべき注意義務を負うものであることはいうまでもない。したがって、指導担当教諭は、生徒がクラブ活動に参加中に発生した死傷事故について、右事故の発生する危険性を具体的に予見することが可能である限り、右危険を回避するための措置を講ずべき注意義務を負うものというべきである。

2  そこで、本件事故発生について、瀬良教諭に過失が認められるか否かについて判断する。

甲第五、第六号証、第八号証の三、四、五、第一〇ないし第二一号証、乙第一ないし第三号証、証人瀬良強、同徳永常登、同難波康夫、同石戸谷武、同寺本滋の各証言、鑑定の結果によれば、

(一) 日射病による全国的な事故発生例については、昭和五三年夏季の報告例によると、六月から八月の間に二一例、死亡事例一八件、死者二〇名、死者のない多発例三件であり、その中に体育館内で熱射病として出たものが二件あったとされていること、昭和五九年度に発生した日射病、熱射病による死亡は中学生六名、高校生六名で、中高校生の死亡のうち二六パーセントを占めていること、また、アメリカ合衆国における高校の運動選手の死亡原因の第二位となっているが、そのほとんどの場合が予防可能であるとされていること、熱中症の危険性については、一般のスポーツ医学書にはもちろんのこと、財団法人日本体育協会発行のC級スポーツ指導員教本にも熱射病の場合には直ちに救急隊に連絡し専門的な治療を行う必要性のあることが記述されているなど、一般のスポーツ指導者向けの書物でも指摘されていること、瀬良教諭は体育大学を卒業し指導講習会にも参加していたこと、

(二) 医学的見地からすると、本件で智美が第一回目に倒れたときに意識が少しもうろうとしていたのであるから、医師の診断を受けさせるのが最善であったが、そこまでしないでも練習を中断させて休息させたことは適切な措置を講じたといえること、しかし、その後練習を再開させたことは軽率であり、少なくとも第二回目に倒れたときには意識障害を伴う異常な事態であったから直ちに医師の診断を受けさせることが必要であり、またそうしておけば救命の余地はあったと考えられること、

以上の事実を認めることができる。

右認定に、前記二、三に認定した事実を総合すると、本件において、智美が第一回目に倒れた際には、瀬良教諭が水分を補給させた上休息をとらせて経過を観察する措置をとったことは、当時の状況に照らして適切であって、同教諭に過失があったということはできない。

また、その後相当時間の休息後に、瀬良教諭が智美の申出により練習に参加させたことは、医学的には適切であったとはいえないが、右休息により智美の身体状態が回復したと判断することは、医学の専門知識のない同教諭としてはある程度無理がないところであるから、これをもって直ちに不法行為上の注意義務に違反する過失があったと認めることはできない。

しかし、その後、智美が短時間の練習再開で前回よりも異常な状態で倒れた時点では、当時の状況に照らして一般人としても智美の身体状態が尋常ではないことを容易に認識できたものと認められるから、瀬良教諭は、この時点において智美の身体の危険性に配意し、救急車を手配するなどして直ちに医師の診断を受けさせる注意義務があるのに、これを怠った過失があるというべきである。

3  被告は、瀬良教諭は、バスケットボール部顧問として部活動の練習を指導するに当たり、時間割と練習技術の内容を決め、練習開始前に参加生徒の体調の検査を行い、予備運動もさせており、練習は参加者全員に一様に行わせたもので一部の者又は特定の個人に限って強行させたことはなく、また、練習時間中適当に休憩、ミーティングも行わせているから、過失はない旨主張する。

しかし、本件事故発生日の新居浜市の気温、湿度がスポーツを行う環境としては危険ないし中止域の範囲にあるとも考えられる条件下にあったことは、前記三に認定したとおりであり、当日の環境からすると適当に休憩、ミーティングを間にはさんでいるとはいえ、その練習予定自体かなり厳しいものであるから、その実施については十分に配慮を要することが必要であったというべきであるし、また人の体力の限界には個人差があり、同一人であっても体調や条件の変化により体力の限界の異なることは当然であるから、練習を参加者全員に一様に行わせたことをもって注意義務を尽くしたといえないことはいうまでもなく、被告の右主張は採用できない。

次に、被告は、智美の死因である急性心不全の全容は医学上解明されておらず、異常体質によるものとされており、智美には心不全の先天的体質又はその予備素質があった。したがって、瀬良教諭には、部活動の練習指導に当たり智美の死亡を予見することはできず、同教諭の練習続行及び介護行動と智美の死亡との間に相当因果関係はないと主張する。

確かに、証人寺本滋の証言及び鑑定の結果によれば、智美の死の転帰を予見することは通常人にとっては極めて困難である旨の部分がある。しかし、同証言及び同鑑定の結果によると、同鑑定人は、死に至る医学経過の帰結を予見することは無理であっても、スポーツを専門に指導する立場の者としては、練習中に二度も倒れもうろうとした状態であり、二度目の方がその程度が強かったことからすると少なくとも第二回目に倒れた時点では尋常な状態ではなかったことを理解し適切な処置をとるべきであったと判断しているのである。そして、不法行為責任における過失を認定するための予見可能性としては、医学的な死の転帰の予見可能性があることまでは必要でなく、身体に対する尋常でない危険性の認識の可能性で足りると解されるのであり、瀬良教諭にはこの意味での予見可能性を肯定することはできる。

また、智美が心不全の素質を有していたとは考えられず、本件事故発生前約四年半の間に智美は度々病院で通院治療を受けていたが、鼻風邪、軽度貧血が主であり、特別な症状はなく、治療によく反応しており、アレルギーもなかったこと、本件事故当日の練習前において練習に差し支えない身体状況であったこと、バスケットボールの練習に際して特に悪影響を及ぼす要因があったとは考えにくいことは、前記三1に認定したとおりである。

したがって、瀬良教諭には、智美の死亡について予見可能性がなく、同教諭の練習続行及び介護行動と智美の死亡との間に相当因果関係はない旨の被告の主張は採用することができない。

4 そうすると、被告は、被告の公務員である瀬良教諭が職務執行中に過失により発生させた本件事故による損害について、国家賠償法一条一項による責任がある。

五  損害

1  逸失利益

二九二七万四〇九円

前記一の事実によれば、智美は昭和四七年五月一二日生まれの女子であり、死亡当時一六歳で新居浜商高一年に在学中であり、同校を卒業する平成三年四月から六七歳まで少なくとも四九年間稼働して収入を得たはずであることが認められる。

そして、女子労働者の全年齢平均の年収は昭和六三年の賃金センサスによれば、二五三万七七〇〇円であることは当裁判所に顕著である。

そこで、右収入額に基づき、生活費(収入額の三〇パーセント)を控除した上、ライプニッツ式計算法により中間利息を控除し原価に引きなおして計算すると二九二七万四〇一九円となる。

253万7700円×(1−0.3)×16.4795=2927万4019円(ただし、16歳の高校生徒に係るライプニッツ係数(18歳から67歳まで稼働)は次のとおりとする。

(一)  就労の終期(67歳)までの年数51年(67歳−16歳)に対応する係数=18.3389

(二)  就労の始期までの年数2年(18歳−16歳)に対応する係数=1.8594

(三)  就労可能年数=51年−2年=49年

(四)  適用する係数=18.3389−1.8594=16.4795)

2  慰謝料 一五〇〇万円

智美の家庭、学業、年齢、本件事故の態様など諸般の事情を総合して判断すると、智美の精神的苦痛に対する慰謝料としては一五〇〇万円が相当である。

3  葬祭費 一〇〇万円

原告阿部ヒロ子本人尋問の結果に弁論の全趣旨を総合すると、原告らが智美の葬儀のため葬儀費用一〇〇万円を支出し、原告ら各自が右同額(各五〇万円)の損害を受けたことが認められる。

六  相続

原告らが智美の両親であることは当事者間に争いがなく、原告らが智美の被告に対する損害賠償請求権(前記五1、2合計金額四四二七万四〇一九円)の各二分の一(二二一三万七〇〇九円)ずつを相続したことは明らかである。

七  損害の填補

原告らが、平成元年二月一日日本体育・学校健康センター死亡見舞金一四〇〇万円、愛媛県教育振興会学校災害死亡見舞金四〇〇万円の各支払を受け、各九〇〇万円の限度で損害が填補されたことは当事者間に争いがないので、これを原告ら各自の損害額(二二六三万七〇〇九円)から控除すると、原告ら各自の損害額は一三六三万七〇〇九円となる。

八  弁護士費用

原告らが本訴提起を原告代理人に依頼したことは当裁判所に顕著であるところ、本件事案の内容、訴訟経過、認容額に照らすと、本件事故と相当因果関係を有するものとして被告に対し請求しうる分としては、原告ら各自について一四〇万円が相当である。

九  結論

以上によれば、原告らの各請求は、被告に対し一五〇三万七〇〇九円及びこれに対する昭和六三年八月五日以降完済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、その余は失当であるからこれを棄却し、訴訟費用につき民訴法八九条、九二条、九三条を適用し、仮執行の宣言は相当でないからこれを付さないこととし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官大串修 裁判官三木勇次 裁判官浅見健次郎)

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